校歌


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作曲・作詞情報

勝 承夫  (かつ よしお)1902-1981

本校の校歌を作詞した勝承夫は、明治35(1902)年東京四谷に生まれる。
「白痴を誘って野に出て」などの作品により中央詩壇に認められた。
東洋大学へ入学後は専門学部文化学科を卒業し、報知新聞社に入社。
詩作生活は、昭和18年の退社後に入る。

平井 康三郎 (ひらい こうざぶろう)1910-2002

校歌を作曲した平井康三郎は明治43年(1910)高知県吾川郡伊野町に生まれる。
本名は保喜(やすき)。
東京音楽学校(現・東京芸術大学)バイオリン科を卒業後交声曲「大いなる哉」を発表する。
1943年以来、文部省教科書編纂委員として音楽教科書編纂に携わった。
1965年には「詩と音楽の会」を結成。日本の新しい歌曲、合唱曲集の作曲活動を行う。


校章

昭和22年の創立時は,市川の名老木「三本松」をかたどったものでしたが、
翌年に旧京成工業学校跡(現在の市川市立冨貴島小学校)に校舎を移転したことを記念して、校章が改訂されました。
本校1期生の作品で、「新川と土手の桜」を取り入れたデザインになっています。


創立当時の様子について

昭和22年5月10日、戦後の新学制に伴い、現在の市川市立宮田小学校の地に、
市川市立高等女学校(現在の「千葉県立国府台高等学校」)の一部を併用して、6学級。生徒数278名、職員数10名をもって発足しました。
翌年の昭和23年6月30日には、現在、市川市立冨貴島小学校がある
旧京成工業学校(現在の「千葉県立市川工業高等学校」)跡地に移転し、昭和25年11月11日には、中山の地に新校舎を落成しました。
昭和36年には、現在の1棟が完成し、昭和49年から50年代にかけて、第2棟・第3棟・武道場が建築されました。

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